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![]() 大津医学生会TOP > 活動報告 > 特集 > 患者中心主義と災害医療への取り組み 患者中心主義と災害医療への取り組み
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聖路加国際病院は、地下2階、地上11階の建物に520の病床を有する全室個室の総合病院である。
理事長の日野原重明先生は95歳に近いお歳であるが、昨年文化勲章を受章され、また、『死をどう生きたか』(中央新書)、『現代医学と宗教』(岩波書店)、『看とりの愛』『老いに成熟する』『音楽の癒しのちから』(春秋社)、『平静の心』(医学書院)など多くの書を著し、精力的に活動されている。
先生自ら世界の各地に赴き、病院を見学されることも多く、聖路加病院の病室その他のデザインにも患者にとって最良の環境になるように、先生の経験や考えが反映されている。そのアイデアのひとつが、病院の礼拝堂(チャペル)を災害時に救急医療のために活用できるよう整備しておくことであった。
まず聖路加国際病院に入って誰もが驚かされるのが、その玄関から見える景観だろう。広い廊下の壁面には絵画が並び、ボランテイアが管理するしゃれた売店もある。廊下を折れるときれいなレストランもある。このようなアメニテイ(快適性)への配慮は、私たちの抱いていた病院の既成概念とは一線を画すものであった。
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アメニティの充実という傾向は、個室の病室においてより顕著である。各部屋にテレビ、ビデオ、電話、冷蔵庫、トイレ、シャワーが設置されている。さらに照明はリラックス効果があると注目されている間接照明が備え付けられておりまた自然光も取り入れられるように全室の窓の向きも工夫されている。こうした室内のアメニティへのこだわりにも、日野原先生の患者さんへの思いやりを感じた。
また、プライバシー保護のために病室の表札に名前を書かないということは、随分以前から先駆的に取り入れられたと伺った。
今日、全国に普及し始めているLDR(産科)も聖路加国際病院が力を入れてきた分野であった。LDRとは英語の「LABOR=陣痛」「DELIVERY=分娩」「RECOVERY=回復」の頭3文字を取ったものだが、その施設も見学させていただいた。
普段は普通の病室と変わりがなく、分娩時にのみ天井に収納されていた照明が降りてくるようになっている。このような創意工夫によって従来から問題視されていた、妊婦が陣痛室、分娩室、回復室と移動しなければならない点や、分娩室が手術室のイメージと重なり、ストレスを感じる妊婦さんも多かった点などが解消されたという。この方法には、妊婦のプライバシーを保護、家族の立ち会いの下で分娩できるなど、多くの長所があるが、費用が割高になる点が最大の短所といえるかもしれない。
次に、2004年1月に新設された予防医療センターを見学させていただいた。
ここでは日帰り人間ドッグが行われており、一日におよそ140人が受診するのだが、コースによっては3〜4ヶ月先まで予約で埋まっていることもあり、人気の高さを伺わせる。
受診の割合は、企業との契約が6割を占め、あとの4割は個人で受診されているそうだ。ちなみに、他の病院の人間ドッグはというと、100%企業契約というところも多い。最近は、女性の乳房の検査、いわゆるマンモグラフィの依頼が増えているそうで、関連器具が充実していた。
また、車いすの方にも配慮した作りになっていて、通路が広いのはもちろんのこと、階段も車椅子のままで上り下りできるよう、レール状の機械が壁に取り付けられていた。緊急の際にエレベーターでの移動は困難になることも多く、そうした配慮をすべきという話は聞くことも多いが、私たちが実際にこうした設備を見たのはこれが初めてであり、驚かされた。
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最後に、あの地下鉄サリン事件において、次々と運び込まれたサリン中毒患者の治療の舞台となったチャペルを見学させていただいた。
チャペルの内部にはベッドや車椅子を並べるのに十分なスペースがあり、壁には人口呼吸器を取り付けることができる配管が並んでいた。地下鉄サリン事件で、日野原先生がこのチャペルに患者を集め、救急医の石松伸一氏が例を見ない症状に対し、サリン中毒だと決断を下したことは有名である。だが、そもそも当時100人を越える患者がこの聖路加国際病院に殺到した際に、きちんと受け入れられるこのチャペルという施設があったことが驚きである。
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これには日野原先生の設計思想が深く関係している。先生が経験された1945年の東京大空襲の際、病院に入りきらなかった多くの患者が野外で亡くなったことから、いつか大災害にも耐えられる病院を作ろうと決心され、こうした設備を整えられたそうだ。病院の設計も先生自らが工夫を凝らせ、酸素の配管は病院中の壁にめぐらし、礼拝堂も緊急時には広い病室になるように設置、また24時間対応できる救命センターを設けられた。病院が1992年に竣工した際、はたしてこれで採算が取れるのかと批判的な見方もあったようであるが、地下鉄サリン事件を経て考えると、万一のために備えられた日野原先生の先見の明にはただただ敬意を覚えるばかりである。
こうして聖路加国際病院を見2学させていただいて痛感したのは、「患者さんに出来るだけのことをしよう」という姿勢が病院全体から感じられることである。理事長である日野原重明先生の理念や教育の賜物であろう。こうした姿勢が、患者さんに起こり得るあらゆる事態を想定しようとする努力、そして、災害医療において不可欠な「起こり得る事態に対する危険認識」の養成に繋がっていくのだと思う。
将来、施設や設備の面でもこれほどの充実度を誇る病院に勤務する機会があるかどうかはさておき、医学に携わるものとして、どのような環境においても、ここ聖路加国際病院のように患者さんに対して真摯な姿勢を持つようになりたいと思うようになった。
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