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大津医学生会TOP > 活動報告 > 特集 > 災害医療の発展の経緯と今後 災害医療の発展の経緯と今後
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昨年の夏、米国では、ハリケーン、“カトリーナ”が政府の対応の遅れもあいまって数百もの犠牲者を出し、さらに併発した原油価格の高騰や穀物の被害などが経済にも深刻な影響を与えた。また、わが国でも1995年に起きた阪神・淡路大震災の衝撃は、10年以上経った今もなお記憶に新しい。
今回は、こうした自然災害などに対する医学的側面からの対応、いわゆる「災害医療」の現状を知るために、私たちは東京都立川市にある独立行政法人・国立病院機構災害医療センターに取材をお願いした。院長の辺見 弘先生は私たちを快く迎え入れ、災害医療の現状について詳しくお話をしてくださった。その後、救急医長である本間正人先生に病院の至るところを案内していただいた。
今回取材させていただいた独立行政法人・国立病院機構災害医療センター(平成16年4月1日に国立病院東京災害医療センターから改称)は、わが国における災害医療の中心的な施設であり、「災害時にも対応できる高度な医療」を指標に、「診療」「臨床研究」「教育研修」「情報発信」を4つの柱として、世界にも類を見ない施設として機能している。以下に、今回見学させていただいた主要な設備・機能を紹介する。
災害医療センターは本館・治療棟・外来棟・研究棟・看護学校が統合されており、研究、教育、医療行為の一体化を現している。
特筆すべきは、警察、消防、機動隊、海上保安庁、内閣府などの関係機関との円滑な連携を可能としていることや、東京23区が震源となった時など有事の際には内閣府の代理を務められるような設備が整えられていることである。さらに、敷地内には農林水産省の備蓄倉庫もあり、米などが備蓄されており、いわば小国家のような形態を取っていると言える。
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災害時に備えてヘリポートを本館の屋上と駐車場の屋上に設置しており、救急患者の受け入れや、被災地に医療チームを緊急派遣するときなどに使用される。ちなみにヘリが出動する回数は、おおむね月に10〜50回とのことである。山岳などでははしごを下ろしての吊り上げで救助が行われるため、高度な運転技術が必要となる。
手術室と救急検査室が備えられており、24時間体制で緊急対応することができるようになっている。
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一般救急の診察室の他に、救急救命病棟がある。病棟には、専門的な装置を備えた8つの手術室を有する中央手術室、一般救命治療室、循環器系集中治療室、熱傷治療室などがある。特に、この熱傷治療室に備えられたベッドは工夫が凝らされており、下の方から空気を送り込むと肌に接する部分の生地がふわふわと浮き上がり、熱傷患者さんの肌に対する負担を軽くするよう作りになっている。
また、地下には、感染防止などのため、ベッドごと洗浄や消毒、乾燥ができる設備を備えており、保安設備として、事故や災害時でも電気を安定して供給できるよう、1000kVA(キロボルトアンペア)の自家発電装置を2基設置している。ちなみに、ここは、霞ヶ関の厚生労働省が被災した場合には、同省の対策本部にもなる。
1階は備蓄倉庫となっており、災害時に必要なベッドや防災用出動用具などが備蓄されている。また、倉庫内には除染用のシャワーも組み立てられている。
阪神・淡路大震災に学ぶ被害拡大の要因
しかし、災害医療の充実を目指す上で課題となる、「被害を大きくする要因」にはどのようなものがあるのだろうか。
この要因を考える上で忘れるわけにはいかないのが、戦後最悪の災害と呼ばれる阪神・淡路大震災である。今日で言ういわゆる「災害医療」のモデル、理念などは、その多くの部分がこの災害を教訓として作られたものであり、逆に言えばこの震災によって浮き彫りになった多くの課題があるということである。
次に、阪神・淡路大震災の人的被害の概要を示す。
人的被害 | 死者 | 6,433名 | |
行方不明者 | 3名 | ||
負傷者 | 重傷 | 10,683名 | |
軽傷 | 33,109名 | ||
計 | 43,792名 |
死者6433名、負傷者43792名にも上る悲惨な災害であった。医療技術評価総合研究事業である「新たな救急医療施設のあり方と病院前救護体制の評価に関する研究」の平成15年度報告書には、驚くべきことに医療機関での死亡は被検案者全体のわずか3.8%であったことが記載されている。また、兵庫県警察本部からの1996年の発表では、震災が起きた6時間以内に死亡した被災者の比率は、全体の60%弱であったという報告が成されている。これらのことから、負傷者の多くは発災直後から数時間以内に現場で死亡したことが示唆される。
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災害医療センターの院長先生である辺見先生はこの事実に関して、災害の発生に際して各地から救援を送り込むための連絡体制、今日で言ういわゆる「応援協定」の機能が不十分であったこと、また、病院が被災地となり、現地で充分なライフラインを得られなかったことなどを大きな要因として挙げられた。
阪神・淡路大震災の発生直後からの救援状況はどうであったか。阪神高速神戸線の倒壊やいくつかの主要幹線の陥没による大渋滞によって消防・レスキューの到着が遅れ、救助活動が進まなかった。当時の村山 富市総理大臣から出動要請を受けた自衛隊も交通渋滞に巻き込まれた末にようやく救助活動に取り掛かることができた。しかし、約1万人の人員に対して震災被害が広範囲に及んでいたために十分な救出活動を行うことができず、3日後にようやく本格的な災害派遣に切り替えられた、という流れになる。このようなタイムラグを生んでしまった背景には、指示を出す層の人間が、先に述べた大渋滞という状況を正しく認識できなかったことが挙げられる。
この震災の場合、初日にヘリで運ばれた怪我人はたった1人であった。より迅速にこの状況を認識し、ヘリを用いた空路で救援活動を行っていれば、被災者の被害はより少なくなっていたのではないか。被災地の状況を正しく捉え、救助活動を円滑に行わせる連絡体制を整えておくことがやはり重要と言える。
これら阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、災害時における救助活動の拠点とするために、まずは全国に、災害医療を行う上で必要な厳格な基準を備えた災害拠点病院が1997年に設置された。
その内訳としては、都道府県に原則1か所の基幹災害医療センターが27病院、二次医療圏に原則1か所の地域災害医療センターが184医療圏に対し185病院。また、開設者別にみると、国立が16病院、公的医療機関が147病院、社会保険関係団体が12病院、その他(公益法人、医療法人、学校法人、会社、その他の法人)が37病院の合計212病院となっている。
また2003年には、国内における地震等の大規模災害時に被災地の消防の応援のため速やかに被災地に赴き、人命救助活動等を行う緊急消防援助隊が法制化された。全国の協力市町村により設置されている。
指揮支援部隊 | 28隊 | ヘリ等により迅速に現地に展開し、被災状況の把握、消防庁との連絡調整、現地消防機関の指揮支援を行う |
都道府県隊指揮隊 | 103隊 | 都道府県隊を統括し、その活動の管理を行う |
消火部隊 | 1,107隊 | 大規模火災発生時の延焼防止等消火活動を行う |
救助部隊 | 277隊 | 高度救助用資機材を備え、要救助者の探索、救助活動を行う |
救急部隊 | 610隊 | 高度救命用資機材を備え、救急活動を行う |
後方支援部隊 | 205隊 | 各隊の活動を支援するために、給水設備等を備えた車両等により必要な輸送・補給活動を行う |
航空部隊 | 66隊 | 消防・防災ヘリコプターを用いて消防活動を行う |
水上部隊 | 19隊 | 消防艇を用いて消防活動を行う |
特殊災害部隊 | 221隊 | 毒劇物・放射性物質災害、大規模危険物災害等特殊な災害へ対応するための消防活動を行う |
特殊装備部隊 | 283隊 | 水難救助隊、遠距離送水隊等特殊な装備を用いて消防活動を行う |
さらに近年、アメリカの災害医療制度に倣い、本邦でも、日頃から特殊なトレーニングを積み、災害発生時には被災地でしばらくは自律的な医療活動を行うことのできる緊急医療チーム、DMAT(Disaster Medical Assistance Team)が組織され、未だチーム数は多くないが活動を開始している。
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これら新たに設置された組織、機関が、特に電話などの通じにくい被災地でインターネットなどを介して連携を組み、効率的に救助活動が行えるように整備されてきている。その働きを実証したのが2004年10月23日に起きた新潟県中越地震であり、マグニチュード6.8、震度6強の大規模地震(阪神・淡路大震災は震度7.2)であったにも関わらず、死亡者を約40名、負傷者を約4,500名に抑えている。この震災の際は、初日に3,000人以上もの怪我人がヘリで搬送された。
DMATの主な任務
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阪神・淡路大震災を経て災害医療は確実に前進しており、発生の確率が高いとされている東海地震についても予見される規模や状況の把握、対策が進められてきている。
その規模は阪神・淡路大震災以上とも言われ、決して甘いものではないが、今後医療に携わる者として災害によって引き起こされる事態を認識し、それに対し適切な行動が取れるよう訓練を積む必要がある。
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最後に、今回ご指導をいただいた辺見先生と本間先生に深く感謝申し上げるとともに、先生が私たち医療関係者にくださった次のメッセージを添えて結びとする。
“災害時に医療を行うには、まず医師として一人前でなければならず、さらに救急のトレーニングを積んでいなければならない。そのあとはじめて災害医療の話になってくる。つまり、災害医療は救急医療の総まとめとして存在するものである。災害には地下鉄サリン事件のように、除染が中心となるものもあれば、地震のように外傷が中心となるものもある。ここで重要なことは“フェーズ”を見極めることである。つまり、急性期なのか慢性期なのかを見極めて治療に当たることであり、それが減災につながるということである。そして何よりも、災害を過小評価しないことである。災害が起こって始めのうちは被害が0のように見えてもそれはどんどん増えてくるものである。
今後の課題として気になることは、医学部のカリキュラムの中の「災害」に対する部分の少なさである。学生諸君にはぜひ災害に興味を持ち、災害時に心身ともにタフでいられる医師を目指してほしい。
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